殺生丸と殺生石 聖地探訪
2008年04月02日
犬夜叉 02.09 変化 高橋留美子 小学館
殺生丸の変化した姿ですが、名前からして殺生丸は化け狐かと思っていたのですが、化け犬なんですね。でも名前の由来は、殺生石 (せっしょうせき)
と関係しているのではないでしょうか? 関係ないかもしれませんが、関係あるということで強引に話をすすめて行きたいと思います。(^^)
栃木県の那須にある殺生石です。まず、殺生石の由来について概略を見てみます。
昔中国やインドで美しい女性に化けて世の中を乱し悪行を重ねていた白面金毛九尾の狐が、今から800年程前の鳥羽天皇の御世に日本に渡来しました。
この妖狐は、「玉藻の前」と名乗って朝廷に仕え日本の国を亡ぼそうとしましたが、時の陰陽師、阿部泰成 (あべのやすなり)
にその正体を見破られて那須野ケ原へと逃れて来ました。
その後も妖狐は領民や旅人に危害を加えましたので朝廷では三浦介、上総介(かずさのすけ) の両名に命じ遂にこれを退治してしまいました。
ところが妖狐は毒石となり毒気を放って人畜に害を与えましたのでこれを「殺生石」と呼んで近寄ることを禁じていましたが、会津示現寺の開祖源翁和尚が石
にこもる妖狐のうらみを封じましたので、ようやく毒気も少なくなったと語り伝えられています。
松尾芭蕉は、奥の細道で次のように書いています。
殺生石は温泉の出る山陰にあり。石の毒気いまだほろびず。蜂蝶のたぐひ真砂の色の見えぬほどかさなり死す。
そして次のような俳句を詠んでいます。(曽良日記)
石の香や 夏草あかく 露あつし
(殺生石からの臭気で、夏草は赤くなり、そこからしたたる露は熱い。)
現在でも、殺生石の辺りからは、硫化水素などの毒ガスが立ち昇っているため、この中に入り込んだ獣の死骸が絶えないそうです。僕が行った時は、近くに狐が
巣を作ったということで、狐が危険なのでその巣を撤去しようとしていました。また、殺生石のところには猫の死骸があり、これをカラスが狙うとカラスも死ん
でしまうことがあるそうで、防護マスクをして、これを撤去するとのことでした。
硫化水素などのガスで、腐食した小銭
殺生石 鳥山石燕
殺生石は下野国那須野 (しもつけのくになすの) にあり。老狐の化する所にして、鳥獣これに触れば皆死す。応永二年乙亥正月十一日、源翁和尚
(げんおうおしょう) これを打破すといふ。
殺生石の近くには、千体地蔵があります。
犬夜叉に出てきそうな風景ですね。
もう少し行くと、湯泉神社(ゆぜんじんじゃ)があります。
一般的に神社の参道には、杉が植えられているものですが、湯泉神社の参道は、ブナやナラなどの広葉樹が繁っています。(原生林をそのまま残しているので
しょうか?)
湯泉神社といえば、源平合戦の「屋島の戦い」で、那須与一が平家の扇を射抜く時に祈った神社の一つです。
平家物語 巻十一 那須与一
屋島の戦いで、源氏と平氏が陸と海で対峙していると、平氏は源氏を挑発するように、日の丸の扇を船の先に掲げて、これを弓で射るようにと手招いた。そこで
源義経は、那須与一にこの扇を射抜くようにと命じた。那須与一は決死の覚悟でこの扇に相対し、そして次のように神仏に祈った。
「南無八幡大菩薩、我国の神明、日光権現、宇都宮、那須の湯泉大明神、願くはあの扇の真ん中、射させてたばせ給へ。是を射そんずる物ならば、弓きり折り、
自害して、人に二度(ふたたび) 面(おもて)を向ふべからず。いま一度、本国へ向へんと思し召さば、この矢、外させ給ふな」
以前このブログでも取り上げた、源頼政の鵺退治の時もそうでしたが、昔の武将は、なみなみならぬ決意でもって、主君の命を果たそうとしたようです。現在で
もスポーツ選手の中には、このような決意をもって国際試合に臨んでいる人もいるかもしれません。
2008/4/4
九尾の狐は、大変人気のある妖怪で漫画やアニメなどにもよく登場します。
ナルトは、九尾の狐が封印されているのですよね。
キュウコンというポケモンもいるようですね。
最近では、ロザリオとバンパイアの九曜が、九尾の妖狐でしたね。
ロザリオとバンパイア 13 (最終回) 月音とバンパイア
原作:池田晃久
この他にも、九尾の狐が出てくる漫画やアニメはたくさんあると思います。
2008/4/5
現在、「玉藻の前」に化けていたのは、「九尾の狐」
とされるのが一般的ですが、実はこれは江戸時代中期以降のことであって、室町時代から江戸時代初期までは、二尾の狐であったようです。
玉藻の前 絵巻
玉もの前
玉藻の前
紙本著色源翁和尚行状縁起
玉藻の草紙
能の「殺生石」も、謡曲自体は、「九尾の狐」ではなく、単なる「狐」とされています。
では、なぜ「二尾の狐」が「九尾の狐」になったかというと、これを説明する前に、初期の「玉藻の前」の話を少し見てみたいと思います。
玉藻の前に化けていた狐は、インドや中国でも悪さをした狐なのですが、まずインドでは、斑足太子(はんぞくたいし)
をそそのかします。この部分の話は、曽我物語の7巻の「斑足王」という話をそのまま採り入れたようです。
曽我物語 七巻 斑足王 (はんぞくおう)
昔、天羅国(てんらこく)に、斑足王(はんぞくおう)という太子がいた。外道(げどう)の教えにより、千人の王の首をとり、塚の神にまつり、大王になろう
とした。そして数万の力士を集めて、東西南北の王城に攻め入り、999人の王を捕まえた。しかし一人足りない。するとある外道が、「これより北へ一万里行
くと、普明王(ふみょうおう)という王がいるので、これを捕まえて千人にするとよい」と教えた。そこで力士を差し向けて、普明王を捕まえた。これで千人に
なったので、一度に全員の首を切ろうとすると、普明王は手を合わせて、「どうか一日だけ暇を下さい。仏様にお祈りして、死への路のたよりにしたいのです」
と言った。斑足王は、それを許してやることにした。
普明王は、百人の僧侶を請じて、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を講読した。するとたちまち、普明王は悟りを開いた。そして、普明王が、斑足王に説諭する
と、斑足王もたちまち悪心を翻して、捕えていた千人の王に、「私は、外道に勧められ、悪心を起こしていたがすっかり目が覚めた。」と言って皆を解放した。
このように曽我物語では、狐は全く出てきません。そして初期の玉藻の前の話でも、「この時の塚の神が、この悪狐でだったのです。」という取ってつけた
ような説明がなされているだけです。
これが時代が下がると、「斑足王の妃の華陽夫人が九尾の狐であった。」というような話になります。
ところで、「千人を殺そうとして、最後の一人で失敗して改心する。」という話は、弁慶と牛和歌丸の話が有名だと思いますが、この話については、以前、「う
る星やつら」の博物誌 で取り上げましたので、詳しくはそちらをご覧下さい。
次に中国では、幽王の后のホウジに化けます。実は、玉藻の前の話では、「中国ではホウジに化けた」ということが書かれているだけで、その内容までは踏み込
まれていません。しかしこれはおそらく、平家物語の「烽火の沙汰」を踏まえているのだと思います。
平家物語 二巻 烽火の沙汰 (ほうかのさた)
昔、周の幽王に、ホウジという后がいた。天下一の美人であったが、この后は全く笑わなかった。
中国の風習に、天下に兵乱の起こる時は、方々に狼煙(のろし)をあげ、太鼓を打ち鳴らして、軍兵を招集した。これを烽火(ほうか)という。ある時、天下に
兵乱が起こり、処々で烽火を燃やした。すると后はそれを見て、「なんとおびただしい火であろう。」と、はじめて笑った。幽王は大いに喜び、その後は兵乱も
ないのにしょっちゅう烽火をあげた。諸侯は烽火を見て馳せ参じるが、敵がいないので帰るほかない。ある時、隣国より凶賊が蜂起して幽王の都を攻めた。幽王
は烽火をあげたが、信用する者はなく軍兵は集まらなかった。そして都は攻め落とされ、幽王は滅んだ。すると恐ろしいことに、后のホウジは狐となって走り
去った。
註:ホウジ は、「褒ジ」「ジ」は、女+以
この話は、嘘ばかり言っていると本当のことを言っても信じてもらえない。という、イソップ童話の「狼少年」のような話ですが、「后を笑わせようとして身を
亡ぼす。」という観点からすると、日本や中国の昔話にある、絵姿女房も想起させます。
昔話 絵姿女房
ある男が、とても美しい女を嫁にした。男は妻があまりにも美しいので、そばを離れられない。そこで妻は夫に自分の絵姿を持たせて畑へ行かせた。ある時、男
が妻の絵姿を見ながら畑を耕していると、突然強い風が吹いて、その絵を吹き飛ばしてしまった。その絵は殿様のお城に飛んで来た。殿様はその絵を見ると、こ
の女を探して連れて来るようにと命じた。家来たちは方々探し回って、男の家にやって来ると、有無を言わさず男の妻を連れて行ってしまった。
殿様は、この女を后として、とも大切にしたが、女は一向に笑わなかった。それからしばらくして、物売りになった夫が城の辺りを声を上げて売り歩くと、女が
はじめて笑顔を見せた。殿様は、夫を城に呼び入れると、女を笑わせようと、夫の衣装を取り替えた。すると、女は門番にその男を城の外へと追い出すようにと
命じた。こうして殿様は城から追い出され、夫は殿様となって夫婦ともども仕合せに暮らしました。
幽王もこの殿様も、笑わぬ后を笑わせようとして、身を亡ぼしてしまったわけです。(^^)
絵を見て一目ぼれするというような話は、世界中に無数にある話しなのですが、その類型として、星新一の「花とひみつ」という作品がとても面白いです。
花の大好きな、ハナコちゃんが、花の世話をするモグラの絵を描いた。しかしせっかく描いた絵が、風に飛ばされてしまった。そしてその絵はある秘密の研究所
へと・・・・
2008/4/10
話が少し逸れましたが、まあ、このように初期の「玉藻の前」のインドや中国の話は、狐との関連性はそれほどなかったのです。そして玉藻の前の正体が、二尾
の狐であるというのも、これは単に、フリークスとしての特殊性を示しているだけのように思えます。
さて、この二尾の狐がどうして九尾の狐になったかというと、それは、江戸時代の後期に、先のインドと中国の話の他に、殷の紂王(ちゅうおう)の后の妲己
(だっき)の話が加えられたからだと思います。
妲己というのは、封神演義に出てくる、その魂魄(こんぱく)を九尾の狐に乗っ取られてしまった悪女なのですが、この妲己の話が加えられることにより、二尾
の狐は九尾の狐へと格上げになったのです。封神演義は最近とても人気がありますが、江戸時代にも、唐山演義(もろこしえんぎ)
などと呼ばれ大変人気があったようです。
時代の流れは次のようになります。
殷の紂王の后の妲己 → 天羅国の斑足王の妃の華陽夫 → 周の幽王の后のホウジ → 日本の鳥羽院の后の玉藻の前
江戸時代後期に書かれた、「三国妖婦伝」などではこの流れの通りに話が進みますが、類本によっては、ホウジの話が削られてしまうことがあります。おそらく
編者は、二つも中国の話はいらないと考えたのでしょう。悪女のホウジが、更なる悪女の妲己によって弾き出された。あるいは、乗っ取られたと言えるかもしれ
ません。また、時代的にも、殷の方が周よりも昔なので、その点からも妲己が優勢であると言えると思います。
以前このブログで取り上げた、平家物語の鵺の話でも、後から作られたと思われる話の方が、第一番目の話とされていました。後から付け足された物語や思想
は、編集される際には先に来る。ということはよくあることなのです。
殷の紂王の后の妲己 → 天羅国の斑足王の妃の華陽夫 → 日本の鳥羽院の后の玉藻の前
現在では、この流れの方がメジャーかもしれません。しかし、作者によってこれらに異動あるので、Wikipedia
などの考察にも少し混乱があるようです。(^^)
2008/4/13
まだ続く予定です。
コメント:
高藤さん
2008/04/15 23:48:28
こんにちわ。
「玉藻」と「九尾の狐」と言えば、かなり懐かしい(?)まんがですが『地獄先生ぬ〜べ〜』にも出てくるようです。
やはり「玉藻(京介)」と「九尾の狐」に関わっる話らしいのですが…話の内容はかなり前過ぎて覚えてません。(むしろ読んだのかどうかも覚えてません)
微妙な情報でスミマセン…(-_-;)
服部
2008/04/16 02:48:06
高藤さん情報ありがとうございました。
後ほど、調べてみたいと思います。(^^)
ここのところ忙しかったようですが、少しゆとり
が出来てきたのでしょうか?
ブログ、楽しく拝見しています。(^^)
土井先生がいなかったのは、ドクタケ城で隠密活動中だったとか・・・(^^)
犬研